1月オフ会 隅田川七福神巡り (2/3)
■隅田川七福神隅田川七福神は、隅田川沿いに点在する5寺社と向島百花園をめぐります。向島百花園を開いた佐原鞠鵜が文人と始めたといわれています。■三囲神社三井家の江戸の氏神として知られていますが、昔は三囲神社は、三囲稲荷と呼ばれる墨東の古社だったそうです。

清々しさを感じさせる神社前

狛犬もなかなか立派な感じ

『近江国三井寺の僧源慶が霊夢により東国を巡礼していた途中、ここ牛嶋の地に荒れ果てた小祠を見つけ、村人に尋ねると弘法大師が創建した由緒ある祠であるとのこと。その様を深く悲しんだ源慶は自ら社殿の修復に取りかかると、埋もれていた壺が一つ出て来た。その壺に収められていたのは白狐に跨った神像。その時、何処からともなく現れた白狐が神像の周りを三度回ってまた何処かへか消えていったという。この故事から「みめぐり」の名が付いたと伝えられています。』しかし何故か漢字は「三廻」「三巡」(みめぐり)ではなく漢字的には囲(かこう、隠しておく)といった意味の「三囲」の字を使っています。

優しい顔をした狐像は「三囲のコンコンさん」として親しまれているそうです。

ということで、お稲荷さん、狐の像があちこちにあります。



老翁老嫗の石像『老翁老嫗の石像元禄の頃、三囲神社の境内には老夫婦が住んでおり、参詣者の頼みにより老婆が田圃に向かって狐を呼ぶと、どこからともなく狐が現れ願い事を叶えてくれたという。其角もこのことを「早稲酒や狐呼び出す姥がもと」と詠んでおり老婆の没後、信仰者がその徳を慕い石像を建てたと伝えられる。』また三井家の江戸の氏神となったのは、『享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めたためで。三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角に位置した。いわゆる、鬼門だった。また、三囲神社の“囲”の文字には三井の“井”が入っている。そのため、「三囲はすなわち三井に通じ、三井を守る」と考えられ、長く崇敬されてきた歴史があり、今なお三井家とのゆかりは深い。』とのことです

三越各店で分霊を祀るなど、三井グループと三囲神社の繋がりは深い。

写真は、2009年に閉店した三井グループの三越池袋店のシンボル・ライオン像がこちらに置かれています。三柱鳥居

三柱鳥居(みはしらとりい)は、鳥居を3基組み合わせたもので大変めずらしいく京都の木嶋神社に有ります。こちらのは、石造りの三柱鳥居があり、しかも井戸が鳥居に囲まれています。立て札には「三角石鳥居。三井邸より移す。原形は京都・太秦 木嶋神社にある」と書かれています。「木嶋神社」は「蚕の社(かいこのやしろ、蚕ノ社)」ともいわれ養蚕の神様が祀られています。三井はもともと「越後屋」を開き、呉服業で発展したので、その繋がりなのでしょうか・・井戸を三つの鳥居で囲っているので。これは・・まさに社名の通り、「三囲」になっていますね~★恵比寿神・大国神

俗に恵比寿・大国というように、一対の神として商家などに祭られ、それにまつわる信仰習俗も盛んで、三囲神社の南の鳥居より入って左手の社に鎮座する恵比寿・大国の二神は、もと越後屋(現在の三越)に祀られていた御本尊と伝えられています。

こちらも一つの社に2つ入っています。一度に二度おいしい?こちらでお参りをします。三囲神社から少し離れた所に次のお参り処「弘福寺」があります。■弘福寺弘福寺は黄檗宗大本山、黄檗山万福寺の末寺にあたり、祥雲作といわれる釈迦如来像をご本尊とします。以前は、隅田善左エ門村の高森山にあった小庵だったが、延宝二年(1673)に鉄牛禅師により現在の地に移されるとともに、牛頭山弘福寺と改称されたそうです。

山号を牛頭としたのは、当時、隣接していた牛嶋神社の祭神、須佐之男命の別称が牛頭天王で古くから地主神として祀られていたことに由来します。

ただ、禅宗のお寺ですが、、曹洞宗、臨済宗の禅宗のお寺とはまったく違った雰囲気がします。黄檗宗(おうばくしゅう)は禅宗の中でも最も中国に近い宗派のようで、昔は臨済宗派の中に入っていたのですが、儀式作法とも中国式の教えを色濃く残していき、今でも明朝風様式を伝えているそうです。

本堂の重層な屋根、大棟の宝珠や山門などの随所に特有の唐風建築様式がみられ、威厳に満ちた構えをしています

★布袋尊本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられそうです。七福神の中で唯一実在した中国唐時代の禅僧で名を契此、号を長汀子。布袋尊は黄檗宗大本山萬福寺で、三門と大雄宝殿の間に設けられた天王殿に四天王や韋駄天と共に安置されている布袋形の金色の弥勒仏像をが有名ですが・・

その末寺である本寺の布袋尊ですのでこちらは結構、格式の高い布袋尊像なのではないか・・と勝手に想像したくなります。弘福寺からほんの少し離れた所に次のお参り処「長命寺」があります。■長命寺三代将軍家光が鷹狩の途中、不意の腹痛のためこの寺に休憩した際、境内の井戸水を汲み、薬を服用したところ、たちどころに痛みが消え快癒した。喜んだ家光がその井戸に長命水の名を与えたところから、以後、寺号を長命寺と改めたそうです。

★弁財天

長命寺の弁財天は長命水に因んだものと考えられており、琵琶湖竹生島の弁財天の分身だそうです。長命寺の裏手の土手沿いに・桜餅で有名はお店があります。●向島 長命寺 桜餅

『桜もちの由来は、お店の創業者山本新六が享保二年(一七一七年、大岡越前守忠相が町奉行になった年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めましたのがはじまり。その頃より桜の名所でありました隅田堤(墨堤通り)は花見時には多くの人々が集い桜もちが大いに喜ばれました。これが江戸に於ける桜もちの始まり。』ということで早速、桜餅発祥のお店で桜餅を頂きます。

桜もちを包んでいる葉は、「オオシマザクラ」の葉を塩漬けにしたもの全国で使用される桜もちの葉の約7割が伊豆の松崎町で生産されているそうです独特の香りは塩漬けにしている過程で葉が発酵してクマリンという芳香物質が出てくるためで、生の葉にはあの香りはないそうです。なんとなく桜餅の葉の香りが、桜の香りのように感じていましたが・・(笑)そしてこの香りが桜餅を桜餅らしく美味しくしているのが凄いですね。

餅は小麦粉を水で溶いただけのものを薄く延ばし、熟練の手で一枚一枚手焼きしているそうです。。ここの桜餅の葉っぱは三枚

こちらのホームページによると・・『「葉は取る」というお方もあれば、「葉も一緒に食べるのが江戸っ子」という方もおられ、なかには「1枚だけつけて食べる」折衷派も。もちろん正解はありません。』とのこと自分はやはり葉っぱを全部とるよりも一枚は付けて食べる派の折衷派のようです。皆さんはどうでしょうか?



